「障害福祉の敵は 戦争」
「我々が歴史から学ぶことは、人間は決して歴史からは学ばないということである」というヘーゲルの皮肉たっぷりの言葉を、今投げつけたいのはロシア大統領プーチン氏(以下「プーチン」と記す)にである。プーチンはロシアがナチスドイツを打ち負かしヨーロッパを解放したとする「大祖国戦争」を引き合いに出し、ウクライナ内のナチスを打倒するという口実で一方的にウクライナに軍事進行し戦争を勃発させた。
戦争は軍人、民間人を問わず必ず多くの犠牲者を生み出す。第二次世界大戦では8400万人々が死んだと言われているが、特にロシアはスターリン、ヒットラー両独裁者の絶滅作戦や稚拙な戦術により2500万人とも。3000万人とも言われる死者を出した。焦土作戦の中で小さな村までが根こそぎ破壊をされた。特にその中でもウクライナは独ソ戦有数の激戦地であり、映画「ひまわり」(1970年イタリア他合作)のシーンにあるようにひまわりの咲く広大な大地の下には、数知れない戦争犠牲者が眠っていると言われているほどである。
世界に未曾有の破壊と殺戮をもたらした第二次世界大戦後、敗戦国はもとより戦勝国であっても二度とこのような戦争を起こしてはならないという思いから「不戦の誓い」を立てたはずである。それからまだ77年しか経っていないというのに、ウクライナの地は再び凄惨な戦場の地になってしまった。残念ながら前述のヘーゲルの言葉が今この戦争で実証されている。そのことに深い悲しみとプーチンに対する憤りを感じざるを得ない。
また、戦争はいつも一番弱い人たちを犠牲にする。第二次世界大戦前、戦中のナチスドイツでは知的障害者や精神障害者は「生きるに値しない命」、戦争遂行の妨げとされ20万人以上が虐殺された。一方で戦争は多くの障害者も生み出す。十数年前インドシナの国々の障害者施設を訪問した時、障害児者の多くは枯葉剤の攻撃で生まれながらの障害を持ったり、クラスター爆弾で手足を失った人たちだった。今ウクライナにおいて砲撃や空爆で多くの民間人の死傷者が出ている。また一部の都市ではロシア兵による虐殺があったと報じられている。このような中で障害を負う人々が多く発生していないだろうか、障害者が虐殺されてはいないかと心配をしてしまう。
更にウクライナには220万人の障害児者がいると聞いた。その人たちは今どのような生活を送っているのだろうか。多くのウクライナ国民が戦火を逃れ他国に非難をしているが、そのニュースを見聞きするにつけ障害者の人たち、特に私にとって関わりの深い知的障害の人たちは無事に避難できたのか気になるところである。また避難できたにせよ避難先の全く異なる環境の中で困難な生活を送っていないだろうかと考えてしまう。なぜなら知的障害者の多くは環境の変化や突発的な出来事に弱く、その様な状況下ではパニックを起こし自分自身をコントロールできなくなり、周りに迷惑を掛ける行動を起こす者もいる。日本においては震災時には度々そのようなことが起きて問題となっている。このことから難民となった知的障害児者が今どのような境遇に置かれているのかはニュースでは報道されないが、今彼らは安定した日常生活を失い、不安と恐怖の中でおののきパニック状態にあるということや、そこから発する行動により家族が大変な思いをしていることは充分に推測できる。
今回の戦争においてはそれ以外にも介護の手は届いているのだろうか、薬はあるのだろうか、医療は機能しているのだろうか・・・等々障害児者に対する多くの心配事が次から次へと湧いてくる。何もできないことにただただ歯がゆさを感じるだけある。「ハチドリの一滴」としてウクライナ支援のイベントを行い、募金を集めることしかできないことに無力さを感じてしまう。
ウクライナでは知的障害の子を「太陽の子」呼んでいると聞いた。きっと知的障害児の明るさ、屈託のなさから彼らをそう呼ぶのであろう。知的障害者はもとより全ての障害者が再び輝けることを願っている。そして障害者福祉に携わる者として「障害者福祉の最大の敵は戦争である」と思わざるを得ない。なぜなら平和な生活平穏な日常を保障していくことが福祉の根本であると考えるからだ。戦争はそれらを根こそぎ破壊する行為でありいかなる理由があったとしても許されることではない。
プーチンが独ソ戦での悲惨な歴史を思い起こし、ウクライナでの戦闘が負の歴史を踏襲していることに気づき、軍を引き、一日も早くこの戦争が終わり、平和な日常が戻り福祉が再生されることを切に願う。
社会福祉法人オリーブの樹
理事長 加藤 裕二